そんな折、教師になって間もない頃に、アメリカから来ていたアレクサンダー・テクニーク
の教師である、ミオ・モラレス(Mio Morales)氏との出会いがありました。
ミオは、ドラム奏者、作曲家として活躍してきた音楽家であり、
アレクサンダー・テクニークを、アレクサンダー氏の直弟子であった
フランク・ピアース・ジョーンズと、マージョーリー・バーストーに師事し、
50年以上アレクサンダー・テクニークに関わってきました。
彼とは、100人規模の大きなワークショップで出会ったので、
当初は、個人的なやりとりはありませんでした。
アレクサンダー・テクニークには色々なアプローチがあり、
手で行うタッチを重視する先生、解剖学や生理学などの知識を重視する先生など、
色々な先生がいらっしゃいます。
その中で、ミオ先生は、私が会った中では初めてでしたが、
骨や筋肉の名前を引用することなく、
とにかく、一瞬、一瞬、
「自分の注意を、今どこに向けているのか?」
ということだけを一貫して問いかけていました。
そんな折、
教師になって間もない頃に、
アメリカから来ていた
アレクサンダー・テクニーク教師、
ミオ・モラレス(Mio Morales)氏との
出会いがありました。
ミオは、ドラム奏者、作曲家として
活躍してきた音楽家であり、
アレクサンダー・テクニークを、
アレクサンダー氏の直弟子であった
フランク・ピアース・ジョーンズ氏と、
マージョーリー・バーストー女史
に師事し、
50年以上アレクサンダー・テクニークに
関わってきました。
彼とは、100人規模の
大きなワークショップで出会ったので、
当初は、
個人的なやりとりはありませんでした。
アレクサンダー・テクニークには
色々なアプローチがあり、
手で行うタッチを重視する先生、
解剖学や生理学などの知識を
重視する先生など、
色々な先生がいらっしゃいます。
その中で、ミオ先生は、
私が会った中では初めてでしたが、
骨や筋肉の名前を引用することなく、
とにかく、一瞬、一瞬、
「自分の注意を、
今どこに向けているのか?」
ということだけを
一貫して問いかけていました。