My Story -1-

どんな子供時代だった?

  
このブロックはPCの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください

子供時代の私はあまり怖いものもなく、
ハツラツと元気な子供でした。


人前に出るのも、人をまとめるのも平気、
先生から頼りにされ、
学級委員なども進んで引き受けていました。


そういう意味では、この頃は、

「しっかりしていて活発」

というような性格が前に出て、
その裏にある繊細さで困るような
ことはなかった気がします。

  
このブロックはスマートフォンの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください

子供時代の私はあまり怖いものもなく、
ハツラツと元気な子供でした。


人前に出るのも、人をまとめるのも平気、
先生から頼りにされ、学級委員なども進んで引き受けていました。


そういう意味では、この頃は、

「しっかりしていて活発」というような性格が前に出て、
その裏にある繊細さで困るようなことはなかった気がします。

得意なことは何だった?

  
このブロックはスマートフォンの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください

子供の頃から、他の人を観察するのが好きでした。

新しい友達が出来ると、その友達の鉛筆の持ち方、書く字、好きな物、嫌いな物、
振る舞い方などにとても興味を持ちました。

その友達の鉛筆の持ち方を真似ると、その子の書く字に似た字を書くことが出来て、
「これは○○ちゃん風の字、こっちは○○ちゃん風の字」
と書き分けることができるほどでした。

また、先生を観察していると、
「この先生は、この手の問題が好きだから、きっとこのあたりがテストに出るな。」
と思っていると、本当にテストにその問題が出題されることもあり、
とても得をすることもありました(笑)


これは、今から考えると、HSC(Highly Sensitive Child)
特有の洞察力が発揮されていたのでしょうね。

頑張ってそうしようというより、自然にそうなっているという感じでした。

日頃からよく他の人を観察しているので、相手の好みも良く把握していて、
その人が喜ぶようなプレゼントを上手に選ぶことが出来たり、
相手が悩んでいるときには、相手の思考回路にそったアドバイスを
することが出来たりして、子供の頃から友達から悩みの相談を
持ちかけられることがよくありましたね。

  
このブロックはPCの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください

子供の頃から、
他の人を観察するのが好きでした。


新しい友達が出来ると、
その友達の鉛筆の持ち方、
書く字、好きな物、嫌いな物、
振る舞い方などに
とても興味を持ちました。

その友達の鉛筆の持ち方を真似ると、
その子の書く字に似た字を書くことが出来て、

「これは○○ちゃん風の字、
こっちは○○ちゃん風の字」

と書き分けることが
できるほどでした。

また、先生を観察していると、

「この先生は、
この手の問題が好きだから、
きっとこのあたりがテストに出るな。」

と思っていると、

本当にテストにその問題が
出題されることもあり、
とても得をすることもありました(笑)

これは、今から考えると、
HSC(Highly Sensitive Child)
特有の洞察力が発揮されて
いたのでしょうね。

頑張ってそうしようというより、
自然にそうなっている
という感じでした。


日頃からよく
他の人を観察しているので、
相手の好みも良く把握していて、
その人が喜ぶようなプレゼントを
上手に選ぶことが出来たり、

相手が悩んでいるときには、
相手の思考回路にそった
アドバイスをすることが
出来たりして、

子供の頃から友達から
悩みの相談を持ちかけられる
ことがよくありましたね。

その後、何か困ったことに?

  
このブロックはPCの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください

そうですね。
その後、少しずつ成長するにつれて、
「他人」「世間」などの存在の意味が

分かるようになり、

あまり目立つような行動を取ると、
疎まれたり
陰口を言われたりする


ということも認識
し始めました。


ありがたいことに、
かなり「平和な家庭」
で育てられたこともあり、

世間知らずだったかな
とも思います。


世の中には「本音と建前」が
存在したり、
「出る杭は打たれる」なんてことも

ありえるのだと分かって来て、

そのうち、少しずつ「他人」や
「世間」というものが

「注意すべきちょっと怖い存在」

となり始めました。

 

  
このブロックはスマートフォンの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください

そうですね。その後、少しずつ成長するにつれて、「他人」「世間」などの存在の意味が
分かるようになり、

あまり目立つような行動を取ると、疎まれたり
陰口を言われたりする


ということも認識し始めました。

ありがたいことに、かなり「平和な家庭」で育てられたこともあり、
世間知らずだったかなとも思います。

世の中には「本音と建前」が存在したり、「出る杭は打たれる」なんてことも
ありえるのだと分かって来て、

そのうち、少しずつ「他人」や
「世間」というものが

「注意すべきちょっと怖い存在」

となり始めました。

 

思春期は大変だった?

  
このブロックはスマートフォンの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください
そうですね。元々、他人の観察をするのが好きで、
他人に対してのセンサーが開かれているようなタイプだったので、
その時点ですでに注意力が自分より、他人の方へ行っていた気がします。

思春期の頃からは、相手の希望やその場の空気などを全身で過剰に感じ取ってしまい、
自分の純粋な望みや事情よりも、
そちらを優先させてしまう傾向が強まっていった気がしますね。

他人の機嫌や状態に左右されやすく、例えば機嫌の悪い人のそばにいると、
自分がその人を怒らせたわけではなくても、とても居心地が悪い気分になり、
他の人が怒られているのを見るのも苦手でした。

また、他人にどう思われるのかが気になり
非常識だと思われることや間違ったことをしたり、
人前で失敗したりすることも心配でした。

そうならないために一生懸命に備えたり、備えすぎて、体調を崩したり

知らず知らずのうちに、HSP特有の反応を繰り返し、
そういう習慣を形成していっていたのですね。
  
このブロックはPCの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください
そうですね。元々、
他人の観察をするのが好きで、
他人に対してのセンサーが
開かれているようなタイプ
だったので、


その時点ですでに
注意力が自分より、
他人の方へ行っていた
気がします。


思春期の頃からは、
相手の希望や
その場の空気などを
全身で過剰に感じ取って
しまい、


自分の純粋な望みや事情よりも、
そちらを優先させてしまう
傾向が強まっていった
気がしますね。

他人の機嫌や状態に左右されやすく
例えば機嫌の悪い人のそばにいると、

自分がその人を怒らせた
わけではなくても、
とても居心地が悪い気分になり、

他の人が怒られているのを
見るのも苦手
でした。


また、
他人にどう思われるのか
が気になり


非常識だと思われることや
間違ったことをしたり、
人前で失敗したり
することも心配
でした。


そうならないために
一生懸命に備えたり、
備えすぎて、体調を崩したり


知らず知らずのうちに、
HSP特有の反応を繰り返し、

そういう習慣を形成
していっていたのですね。

その傾向は、いつまで続いたの?

  
このブロックはPCの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください

そういう傾向は、
小学校高学年くらいから、

会社員として仕事をしていた
20歳代後半まで続きましたね。


特に専門家にかかるほど
何かに支障をきたしたわけでは
なかったのですが

  • 「何となく生き辛い。」

  • 「自分の人生なのに、
    何となく自分で生きている気がしない。」

  • 「自分の身体なのに、
    あまりしっくり来ない。」

のような気持ちを抱いて、
生きていました。

周囲との関係において、
「本当の自分」、「素の自分」
を保ちにくく、

どこに自分の軸があるのか、
常に分からないような感覚
でした。


今から考えてみると、結局は、
自分の意識が、自分自身に対してよりも、
他人や周りの方に、
より多く向いている状態
だったように思います。
  
このブロックはスマートフォンの画面サイズで非表示設定になっています
公開ページで表示したい場合は「ブロックの設定」から変更してください

そういう傾向は、小学校高学年くらいから、

会社員として仕事をしていた20歳代後半まで続きましたね。

特に専門家にかかるほど何かに支障をきたしたわけではなかったのですが

  • 「何となく生き辛い。」

  • 「自分の人生なのに、
    何となく自分で生きている気がしない。」

  • 「自分の身体なのに、
    あまりしっくり来ない。」

のような気持ちを抱いて、生きていました。
周囲との関係において、「本当の自分」、「素の自分」を保ちにくく、
どこに自分の軸があるのか、常に分からないような感覚でした。

今から考えてみると、結局は、自分の意識が、自分自身に対してよりも、
他人や周りの方に、より多く向いている状態だったように思います。